創祀の歳月確かならず、或は云う、白雉元年なりと。(平成4年を隔る1350年前也)。
醍醐天皇延喜の御代、制式の小社に列し、堀河天皇の御代、寛治年間(平成4年を隔る900年前也)
社殿の再建あり、国内神名帳に云う、従五位上高石大歳社、高石創立社と見ゆ、今天神と稱す。(式社考に載る)。
今の社殿は、寛永12年(平成4年を隔る350年前也)の再建なり。
和泉名所図絵には、高志の祖、王仁を祀ると記せり。或は、往古境内に王仁を祀る一社ありしにやあらん。
昭和9年9月21日関西地方を襲える稀世の風水害に遭遇し、被害甚大、巨木倒壊し、社殿を損い、
昭和10年10月12日改築復旧造営起工をなし、昭和11年5月15日竣工遷座祭を斎行す。
昔、逍遙院三條実隆高野参詣の途次、この社に立寄り、高師浜の松原の下、天神社の前に輿を立て
「袖の上に松風吹く風やあだ浪の高師の浜の名をも立つらん」 実隆(逍遙院高野紀行に云う)。
境内には、小倉百人一首、祐子内親王家紀伊の詠まれたる、
「音に聞く高師の浜の仇浪はかけじや袖のぬれもこそすれ」 の碑あり。
高さ7尺、巾4尺の自然石にて苔蒸せり 従三位富小路貞直の筆なり。
老樟の下に石玉垣を周らしたる碑あり、白河鳳凰熊野権現御拝所と記せり、紀州街道熊野詣の途次ならん。
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